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備忘・感想

一瞬とか永遠とか、日常とか――アニメ『ゆゆ式』

 過ぎてゆく時間をここまで意識させてくるような作品も、そうないと思っている。

「今…何ピコ秒経ったの?」というセリフが作中にあるけれど、これは単なるネタの一つでは決してなく、ゆゆ式全体を言い表した言葉でもあり、ゆゆ式らしさとはつまり流れてゆく時間と、それにあらがうように凝縮された一瞬のことだ。

 

 四コマ漫画という原作の形式もあって、ゆゆ式におけるコミュニケーションの核は瞬間の機微である。三人の会話は、概ね反射的なリアクションの連なりから成っていて、それが上手く噛み合っているように見えることもある一方、すれ違ってしまうこともまた多い。会話が袋小路に入り込んだり、収拾がつかなくなって仕切り直したりする場面もいくつかある。ひとつの会話として見ればそれは「失敗」なのだけれど、そういった場面が描かれていることにはおそらくちゃんと意義があって、つまり反射的なリアクションの失敗だとか仕切り直しといった仕草に現れる意識こそが、彼女たちの友情の形なのだ。三人の友情を確認するものは、お互いの反応や洒落を注意深く、あるいは計算高く拾い集めて楽しもうとする、その手探りのコミュニケーションに他ならない。そういった、楽しさの共謀とでも言うべき会話の機微と、そこから覗く三人の関係性の表現が、ゆゆ式の大きな特長だろう。

 

 会話の機微や関係性の面白みは、ゆゆ式の公式コピーである「ノーイベント・グッドライフ!」に表現されているような、いわゆる「日常系」の魅力に通ずるものがある。ただ、この作品がゆるふわ癒し系アニメかというと、それも少し違うかもしれない。瞬間を連ねて日常を描くのであれば当然に出てくる問題、つまり、三人で作り上げている今がいずれ過去になるという話にまで物語は踏み込むからだ。

作中第五話にこんな会話がある。

 

「私ね、唯ちゃんが死ぬまで死なないよ」

「それいいね。じゃあ私もそうする」

「じゃあ私たち、ずっと一緒だったら不死身だね」

 

三人の結びつきがテーマとなるこの回この場面にある種の感傷を覚えるのだとすれば、それは、ずっと一緒にはいられないし、不死身にもなれないことを知っている私たちの経験によるところが大きいのだろう。しかしこの後実際に、物語の端々において永遠は否定され続ける。縁の将来の進路に関する話、先生の語る「大人になること」――青春の終わりは少しずつ近づいている。

 これは原作にしかない挿話なのだけれど、友達と会えなくなって寂しいか聞かれた先生が、心のうちでこんな風に独白する場面がある。

 

「あなた達が思ってるほど今さみしいって感じないのがちょっとさみしい気もするけど…ってこれは言わないでいいか」

 

三人には今ここしかなく、時間は確かに過ぎ去る。今が昨日になって、やがてあの日になってしまうことを視聴者に感じさせながら、日常の断片は連なってゆく。それは一瞬であるがゆえに永遠で、どんな思い出よりも遠い。

 

「瞬きするのも忘れちゃいそうになる

セツナイロ 終わらないよ 終わらないよ」

(TVアニメゆゆ式 イメージソング『セツナイロ』)

 

ゆゆ式に対するamazonレビューの足しになればいいなあ